Twitterにおける小沢ブーム(第一期:2010年春~鳩山政権退陣、第二期:鳩山政権退陣~民主党代表選)

はじめに

改造内閣が始動した。こうなってくると僕らは泣いても笑っても覚悟を決めるしかないわけで、いちど立ち止まって考えておいた方がいいと思った。そこで少し、小沢一郎菅直人という人らについて少し振り返ってみようと思う。
posted at 19:26:06

やはり最大の謎というか論じられるべき論点は、twitterのTLなどでは完全に小沢支持の流れが圧倒している風に見えながら実はそうではなかったという主観と客観の乖離だろう。
posted at 19:29:41

Twitterにおける"小沢ブーム"第一期

遅くとも今年に入って以来、TLを見るかぎり小沢支持は一大ムーブメントとなっていた(ように見えた)のは事実で、そこはある程度確かなことだと思うが、それをかりに小沢ブームと呼ぶとするならば、ブームはなぜ起こったのか?
posted at 19:32:23

いま春先の頃を振り返ってみると、小沢さんに対する地検の捜査から不起訴に到るまでの流れで、検察の捜査手法と記者クラブメディアの報道姿勢が、小沢さんをハブとして盛り上がっている時期があった。不当捜査・不当報道問題がブームをなしていた。
posted at 19:41:16

それは上杉隆氏や岩上安身氏が脚光を浴びた時期でもあるが、かれらも言っていたようにこの問題それじたいは人権問題であって政治問題とは切り離されたものだ。多くの人もそこは理解していた。ところが実際には、不当捜査批判ブームは政治的な小沢ブームへとシームレスに繋がっていった。
posted at 19:45:40

ブーム第二期へシームレスに移行

ふたつのブームは、不当捜査批判ブーム、政治的な小沢ブームといった風に、論点として区別することはできるのだが、時間軸として前者が後者にシームレスに以降する過程を誰もが違和感なく踏襲してしまったのは、空気の一貫性があったからだ。
posted at 19:50:18

小沢一郎というひとりの日本国民にして政治家である人を、市民的には擁護しつつ政治的には批判するという態度は、論理的に容易ではあってもじっさいには難しい。そこまで切り分けて考えるためには、どこかでこの一人の人物を分析的に(!)まなざす必要があわけだが、それをするとTLに乗り遅れる。
posted at 19:53:09

思えばTLというものは、ある種一貫した"場の空気"みたいなものを形成する強い力のようなものがあって、TLに乗り遅れまいとする僕らユーザーの心理に働きかけ分析能力をマヒさせるところがあるのではないか?そう思うと、ちょっと怖い気がする。
posted at 19:56:09

「政治とカネ」という言葉

しかし、今となっては二つのブームは両方とも過去のものになったので、いまならそこそこ分析的に考えることが可能だと思う。捜査・報道機関に対して市民的には擁護されるべき小沢一郎という人は、政治家としてどうなのか。
posted at 19:58:08

たとえば、小沢氏の政治姿勢について、マスコミ報道では「政治とカネ」という言葉が使われた。じつは僕はこの言葉をtwitterで初めて書く。というのも、これまでこの言葉を意図的に無視していたから。
posted at 20:02:44

なぜ無視していたかというと、警戒していたから。この種の、報道機関がストーリー形成に使用するキーワードは、本来は別個のものである認識対象をごちゃまぜにし認識を誤らせる。いわば認識論的障害とでも呼ばれるべきものの代表格なので、これは無視した方がいいのだ。
posted at 20:05:59

一方、一連のブームの中で、小沢さんの話題をつぶやきながら「政治とカネ」という言葉を無視し続けることのできた人はほとんどいなかった。そもそもその必要性を感じなかったのが主因というところだろうが、できない事情もあった。それは、このブームがあらかじめ報道批判を含んだブームだったから。
posted at 20:10:51

「政治とカネ」は認識論的に混合物だ。これは刑事司法の問題と、政治手法の問題を混同する。この点、「政治とカネ」が世論を扇動する側面を警戒し批判する人はあったわけだが、その一方小沢一郎という人の資質を、司法の問題と政治の問題ときっちり場合分けして論じる人はほどんと見掛けなかった。
posted at 20:15:34

こんなことを言いつつ、僕自身も後知恵だからこういうことを言えているのだろうことも自覚している。「政治とカネ」という認識論的障害は思ったより厄介な代物だった。それは、警戒する人をもミスリードする力を持っていた。
posted at 20:17:17