リアリズムを求めるなら、そう名乗る必要はない。見ればわかる。

 またぞろ麻生首相の舌禍事件である。

http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009082301000685.html
はてなブックマーク - 首相「金ないのに結婚するな」 学生イベントで - 47NEWS(よんななニュース)

 僕の感想はブクマコメントの通り。

他の自民党議員のにしてもそうだが、「失言」内容そのものよりも、いま社会に満ちている怨念を察知できない暢気さの方が政権与党として余程致命的じゃないか。>メタブへ b:id:nornsaffectio:20080824

そして、利口ぶりたいだけの未熟な輩はこれがリアリズムとか嘯いて「言ってることは正論」とか反応する。言ってることの成否が問題だと思っている時点で決定的に現実=リアルが見えていない。どこがリアリストかと。  b:id:nornsaffectio:20080824

 さて、このコメント、一見しただけではだれがリアリズムを嘯いているのかと疑問を持たれるだろうと思うので補足してみる。

 まあ、実生活のなかで、実際にこういう断りを入れたうえで発言内容の確かさを言い立てる人がいたのである。この麻生発言絡みではないけど、自民党崩落モードに入ってからのことなのでまあだいたい状況は共通している。そのときは「言ってることは正論」という反応はブコメ方面にはなかったが、今回は丁度いい具合にこの種の反応が相次いだので、それを利用して少し当てこすってみた。有村君風に言うと「これはのぶい」というやつだ。

 まあだいたい、政権与党の要職がやらかした不用意な発言を「失言」とことさらに言い立てるのは、それ以上の意味がない限りにおいてあまり品のいいことではない。だから、平時にあれば「また失言叩きか」という反応には一定の正しさがある。ただし、それはあくまで発言のconstativeな、一次的な意味だけが問題とされるとき、端的には平時に限られる。

 裏を返せば、平時でないとき、つまり今般のような社会が危機的状況に置かれている特殊な状況下においては事情が違ってくるということだ。こういうとき、かれらの「失言」は、言葉どおり意味するところとは別に、この社会の状況にたいするperformativeな意味を持つ。

 たとえば、これである。

おそらく発言の趣旨は、働こうとする人々、働くために教育訓練を受けようとする人々にこそお金を渡すべきで、働こうが働くまいが一律にはした金をばらまくベーシックインカムみたいな発想は認められない、という趣旨だったと思うんですね。近年の先進国共通の政策動向としてのワークフェアを、いささか大衆迎合的な表現でやってしまったというところでしょう。その意味では、趣旨としてはきわめてまっとうな発言であって、これを非難するなら、どういう社会システムを構想するのか、きちんと示す義務があります。とはいえ・・・。

ただ、それを派遣村批判という形で喋ってしまったのは、いささか政治的に正しくなかったといわざるを得ません。まあ、選挙戦というのは、どうしても表現が粗雑になりがちなんでしょうが、これはやはりまずかった。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-a50c.html

 先の舛添発言についての話である。これは、濱口先生の表現でいうなら、舛添氏の発言*1は、発言の趣旨そのものは正しいが、政府の要職にある人の発言として政治的に正しくない発言ということになる。厚労相としてのペルソナを括弧に入れ、発言の趣旨そのものを純粋にくみ取った場合、それはいわゆるワークフェア政策のことを言っていることになる。政策の提示なのだから、かの政策への支持不支持はともあれ、別におかしいところはない。

 しかし、それだけが問題ではないのである。厚労相としてのペルソナがあるからだ。その社会的立場に鑑みてかの発言をみる場合、それは厚労相による派遣村批判という意味を持つ。つまり、厚労相派遣村をどう見ており、それについてどのような価値判断を抱いているかということを同時に示しているわけだ。それを素直に解釈するならば、舛添厚労相派遣村のことを、雇用システムの不備あるいは旧政権の失政による社会不安とは見ておらず、たんなる怠け者の自業自得と見ていると、そういう意味に受け取ることができる。そして実際にそう受け取られ大ひんしゅくを買ったわけだ。舛添要一厚生労働大臣は、派遣村に象徴される雇用不安の蔓延した時代の厚生労働大臣として、その雇用問題について責任を負うつもりはないと、そういうことになってしまった。

 きっと、かつてのもっと豊かな時代に釜ヶ崎とか山野などでみられたようなステレオタイプ貧困層と混同してしまったのだろう。現実をまっすぐに見るよりもパターンに寄りかかった認識をして政治的判断を誤ったのである。童話の狼少年は日頃のウソつきが祟って実際に狼に襲われた際村民に無視され助けてもらえなかった。このとき村民はパターンに寄りかかった認識で判断を誤ったのだ。ところが村民の認識に反し、狼がやってきたのは事実であった。このとき、狼に襲われるのは件の少年ばかりではなかったはずだ。この村民や舛添氏は、現実をまっすぐ見ようとしていない。かわりに、すでに失効した過去の認識、ステレオタイプに囚われているのだ。いうまでもなく、こういうのをリアリズムとは呼ばない。偏見である。

 要するに、囂々たる非難は正しかったのである。別に批判者はワークフェア政策の是非を問題にしていたのではない。その政策を担うべき当の厚労相がとんだ偏見に囚われていることを問題にしていたのだ。

 ところで、当エントリにて僕にあてこすられた件の人物は、この舌禍事件を完全に誤解して、騒動をワークフェア政策にたいする批判だと受け取っていた。*2そして、続けて「反対するなら対案を出せよ」とキレ気味に語っていた。*3一体誰にキレているのか知らないけれども(苦笑)、とりあえず、少なくとも僕の見る限り、件の舛添発言絡みでワークフェア政策を批判した人は主流ではなかったように思う。*4

 ところで麻生発言である。あれは内容的にも微妙だが、社会も党も危急を要するこの時期、この情勢について直接責任を負うべき立場にある口から、まあ緊張感のない発言*5が出たものだと思う。いまや貴方がそういう語り口をしているだけで腹が立つという空気が支配的になるくらい、情勢は悪化しているのだ。怨念に対する不感症が自民党全体を蝕む状況なのだから、それ相応の運命が待っている。

 そして、それ以上に怨念が読めないのは自称リアリスト諸氏なわけだが、精々そのつまらない自己顕示欲をだらしなく漏らして人間関係を踏み誤らないように願いたい。意外な人を怒らせてるかもよ。

*1:とりあえず、このエントリでは文字通りの発言があったものとみなす。

*2:因みに彼は派遣村のことを釜ヶ崎的なものと完全に混同している。徹底的にリアルが見えないらしい。残念なことだが、博識の馬鹿というは少なくないのである。

*3:いうまでもなく、まんまhamachanエントリの受け売りである。この彼の認識姿勢がどういうものかよくわかるエピソードだと思う。因みに、引用部分のように語った濱口先生御自身は、かならずしもこの騒動でワークフェア政策批判が行われたと認識されていたわけではなかったと思われる。だから後半部分で「政治的に正しくない、残念だ」と書かれたのだろう。

*4:それどころか、知らない人が大半だろう。一般人は政策の専門家ではないし、そうである必要もない。

*5:報道とネット、どちらが正確であるにしてもこの点において大差ない。