一体全体、本当に日本は「規範意識の強い」社会なのか?

宿題*1をひとつ片付けてみる。

宿題一覧

以下は、海部美知氏の記事「「基準から外れてしまった」人をどうするか - Tech Mom from Silicon Valley」に付けた、僕のブクマコメントである。

id:michikaifu:20090907:1252383861

規範意識なしに法治社会はないわけだが、同時に法を社会契約の範囲まで縮減して民を抑圧的な規範から解放するのも法治社会の基本的役割。政権交代成った今、僕らは漸く規範を選ぶ自由を手にしたのかもしれない。
b:id:nornsaffectio:20090908

まあ、こんな舌足らずなコメント読んでさっと意味を取れる人はほとんどいないわな(苦笑)。というわけで、もうちょっとちゃんと書こうというのが宿題だった。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/michikaifu/20090907/1252383861

さて、他のブクマコメントを一覧すると、まあ毎度の事ながらものの見事に話が混乱してしまっている。規範意識概念の理解が錯綜しているせいだが、まあこれはしょうがない。なにしろ厳しい字数制限があるうえに、海部氏自身が定義をネグっている*2のだから。しかしまあ、そんな意地悪言っていてもはじまらないので、ここではそれは置いといて、ちょいと規範についてふりかえっておこうと思う。

「法は道徳の最低限」という言葉があるように、法律みたいな、成文化され公権力により実効性が確保されるルールというものは、立法以前に社会に普通に通用している「こういう場合〜すべきである」という当為判断の積み重ねに依存している。だいたいそれがなければ成文化しようとか権力を通じて強制しようとかいう話もないわけで、これは論理的必然なのだが、このとき問題は、この当為判断にどういう根拠があるか、つまりどういう契機をもってその判断が正しい/まちがっていると判断されうるのかということにある。そこを読み誤ったらその法に支配される民衆は誰も納得しないだろうから、法律をつくるどころの騒ぎではなくなってしまうだろう。というわけで、当為判断の根拠が問われることになる。つまり、規範の在処の問題だ。

だが、そんなところに詳しく突っ込んでいると学際的な大問題に入ってしまい、いくら長文書いても足りるものではない!というわけで、ここではかりに宗教だとしておこう。じじつ宗教はひとの社会である限りどんな社会にもあり、それぞれがそれぞれにおいて生活上のルールを提供する重要な役割を担っている。また、法に刑罰があるように、ルール一般には強制の契機(サンクション)というのがあるわけだが、それも宗教は提供する。

ただ、どういうサンクションかというのは宗教の性質による。たとえばユダヤ教みたいなセム一神教なんかは砂漠の苛烈な環境に規定されているので、律法破りは暴君のごとき神の逆鱗に触れ民族みなごろしにされる(!)きっかけになると解釈したりするわけだ。この神は全知全能なので、天網恢々疎にして漏らさずなんてものではなく*3、どんな律法破りでも見抜かれてしまう。そういう意味ではとてもキビシイ。ただ、律法それじたいは契約書(!)として明文化されているものなので、契約にないことまでは知ったことではない。そこはユルい。なので、電車が遅れるくらい何だと、そういう話になる。

他方、日本の宗教は新石器時代以降の村々の生活を基盤とする多神教である。たくさん神がいる代わりに、それぞれ認識能力に限界がある。それらは自然の事物や他の村人たちの延長線上にあるもので、怒ったり鎮まったりする。だから、そこでのルールは「他人を怒らせないこと」。それが規範として語られると「他人に迷惑をかけないこと」「他人に後ろ指を指されないこと」といった風情になる。そして、それは共同体の掟の域を出ないので、カバーされる範囲は広いし、しかも契約書なんてものはない不文律になる。だから、村人はとにかく村人の感情を害することがないように細心の注意を払うように動機づけられるわけだ。だから、電車が遅れるなどもってのほか、何百人の人を怒らせるかわかったものではないし、そんなもの容易に鎮められるわけがない、と。そこはキビシイわけだ。ただ、要するに人目に触れなければいいわけで、誰も見ていない匿名の場所ではやりたい放題。ユルユルなのだ。

さて、かなり乱暴にまとめてみたが、海部氏の言っている規範意識の強さは、さっきの話でいうところの日本宗教のキビシイ側面を指して言っているのであろうことが想像できる。しかし、そういう背景に突っ込む気がないようで、前提なしに「規範意識が強い」とやったものだから話がややこしくなってしまった。ブコメの混乱はそれが原因だ。それで、具体的な事例を挙げて「基準から外れてしまった」人をどうするかと問題提起するわけだが、そもそも分析の前提を掘り下げていないのでボールは投げっぱなしで終わってしまう。こういう職業の人の悪い癖だと思うが、あまり責められないだろうなそこは。

ともあれ、僕のコメントである。「規範意識なしに法治社会はない」。それはよし。問題は次の「同時に法を社会契約の範囲まで縮減して民を抑圧的な規範から解放するのも法治社会の基本的役割」。

じつはここ、いまではあまり適切な表現ではないと思っている。近代法治社会の、とか、近代立憲主義社会の、とか、近代社会であることを断る文句を書くべきだったと思っている。しかしまあ、なにせ100字なもので、難しいです、ハイ。

閑話休題。とにかくさっきの宗教規範みたいな規範体系があって、それをもとにした「こういう場合〜すべきである」という当為判断の積み重ねがあると。そうした土壌から国法体系という樹木は育つ、そういう順番になる。ところで、宗教規範というのはときに度を超してキビシイ。たとえばセム系社会では信仰を捨てることは神に対する最大の裏切りなので八つ裂きにされても済まないし、まして異教徒など人間ではない(!)ということで、異教徒同士がぶつかると大変な殺し合いになる。他方日本では、海部氏が言うように基準から外れた人間は社会の想定外とされていて救済されない。じゃあ、そういうのを土壌として育つ法律は、こういう度を超した厳しさに対してなにもできないのか?それが近代法治社会の態度なのか?

じつは、ここが肝心だったりする。そもそも近代というのはルネサンスが起源と言われるように、人間の解放を謳っている。要するに、人間を幸せにしないキビシすぎる規範は捨てるという選択肢を持てるようにするということだ。それが、一神教社会なら他宗教への寛容ということになるし、日本社会なら基準=ライフスタイルの多様化の保証ということになる。そのためにどうするか。憲法を作り、基本となる権利を明示して(権利章典)、それに違わぬ法律だけが有効だという原則を作る(立憲主義)。権利のベースは自己決定権なので、それを保証するため、立憲社会では民主主義が基本となる。

ただ、そうはいっても人間を幸せにしないキビシすぎる規範が民主主義のプロセスを通過して法律になってしまうことは間々発生する。それについてはどうするか?事前の対策としては、そうなりそうなときには法律をつくる奴を交代させること(政権交代)。事後策としては、そんな法律は無効にしてしまうこと(違憲立法審査)。近代法治社会というのは、こういう立憲主義の立場にたって人間の解放を実現しようという、そういう企てだ。この近代法治社会という装置*4がきちんと作動してはじめて、基準から外れた人はなんらかのかたちで救済されるだろう。

んで、元エントリの話だが、こういう人たちは実際のところ救済されていない。ということは、近代法治社会という装置がきちんと作動していないのではないかと類推できる。そして、そのことはある歴史的事実によって裏付けることができる。ある歴史的事実、つまり、半世紀もの間にわたり政権交代が実現してこなかったこと。勿論先進国唯一だ。

で、その政権交代がやっと*5実現したわけだから、これは素直に憲政史上の進歩だろうと。民主党政権が結局のところダメだったとて、そのときはまた自民党に交代させればよい、その選択肢を手にすることができたのだから。尤も、自民党が潰れなければの話だけど……。

ま、そういうコメントでしたと。

P.S.
このエントリは何も見ずうろ覚えの知識を引っ張り出して書いたものなので、突っ込み所は沢山あると思う。但し、一神教多神教のくだりは乱暴なのを前提に書いたものなので、この点に関しての突っ込みは勘弁願いたい。*6

*1:b:id:nornsaffectioにて「そのうち書く」のタグが付けられたもの。

*2:このエントリは「犯罪が少ない」「電車も宅配便も時間通り来る」「約束を守る」「信頼できる」…という列挙にはじまり、続いてメインの彼女は「普通の基準を外れてしまった」子供の話につなげている。そこから推測するに、どうやら海部氏は「規範意識」という言葉を「ひとは普通の基準を満たすべきである」という意識として使用しているようである。倫理学や法理学に親しんだ目からすればなんとも素朴で不十分な定義である。まあ誰でも守備範囲の限界というのはあるからこのこと自体は仕方のないことだと思うのだが、それが混乱の元であることには変わりない。じじつ、混乱は彼女の「日本は、全体として「規範意識」の強い社会である」という規定の当否をめぐって起きている。「日本人はすごくルールを守ろうとする」と言ったところで、そのルールが何なのかわからなければはじまらないのだ。

*3:なにしろ、岩場の山羊が子を産む瞬間とか、そういうことまでなにもかも知っているっているわけだから、そんな相手の目を盗むなんてできたものではない。「疎」でないどころか「網」ですらないわけだ。強いていえば鉄鍋か?

*4:僕はダールに倣ってポリアーキーと呼びたいが、それはまた別の話。

*5:細川政権のときみたいな済し崩し的にでなく

*6:てか、書いてきても無視する。面倒くさいので。